02月19日 (水)

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煙草の煙が目に染みる



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煙草が日本に伝わったのは1543年、鉄砲伝来とほぼ同時にポルトガル船からもたらされたという。


それからさらに50年、秀吉の朝鮮出兵の頃には日本の武士が煙草を吸う姿が記録に残っている。

既にこの頃には幅広い地域で栽培されていたのであろう。


さらに時代が進んで徳川幕府の時代には、何度も禁令が出されているが、全く以ってやめる気配がない。

茶屋などでは客にはまず煙草盆を差し出してキセルで一服させるのが礼儀となっている。


もはや江戸の頃には煙草は日常の一部と化しているのである。

キセル

そしてそれは明治維新後も続く。

明治の広告王と呼ばれた岩谷松平が煙草会社を立ち上げ、莫大な財をなし、岩谷が立ち上げた天狗煙草ブランドによって、紙巻きたばこも少しずつ普及していく。

明治政府が財源確保のために煙草を政府による専売化するまでそれは続いた。


専売化がなされたのちは、農民たちが煙草を密かに栽培しては警察から罰金を取られるなどという実にのどかな光景が見られるようになり、一方で戦費として煙草税が日清・日露戦争の戦費として投入されることとなった。


さらに大正天皇様が、時の宰相・原敬とともに煙草を吸っては、世間話に興じたという。

煙草はやんごとなき方々にとっても重要なコミュニケーションツールだったわけだ。


恩賜の煙草は太平洋戦争の兵士たちにも配られたのは良く知られたところだが、すっかりニコチン中毒となった日本兵たちは、敗戦後、投降した日本兵たちは捕虜収容所にても煙草を求めて難儀したという。

敗戦後

たとえばビルマにあった英軍アーロン捕虜収容所では英軍の物資を盗んで、ビルマ人たちと煙草を交換するという実にたくましい日本兵捕虜たちが多くいたという。

共に戦後も煙草の火は絶えることなく、昭和の男たちはずっと煙草とともにあった。


だが懐かしい時代は遠くに去り、今は令和。喫煙者はもはや絶滅危惧種と化しつつある。

禁煙条例、たばこ税の異常なまでの値上げ、何かといえばやり玉に挙げられる昨今である。


煙草を吸っていないのに何だか息苦しい。これが450年以上過ぎた喫煙者の未来かと思うと煙がやたらと目に染みる。

絶滅危惧種トキ